ローマの平和、始まりの瞬間
紀元前27年、約100年続いた内乱の世紀を終わらせたオクタヴィアヌスが、元老院から「アウグストゥス(尊厳者)」の称号を与えられた。これがローマ帝政の事実上の開始であり、同時に**「パクス・ロマーナ(Pax Romana、ローマの平和)」の始まり**だった。
以後、五賢帝最後の一人マルクス・アウレリウス帝が没する西暦180年までの約206年間、地中海全域は単一の支配権のもとに置かれ、それ以前のポエニ戦争・マケドニア戦争・内乱の世紀のような大規模戦争はほぼ姿を消した。地中海は文字通り「ローマの内海」となったのである。
五賢帝の時代、繁栄の絶頂
パクス・ロマーナの中でも、紀元96年から180年までの五賢帝時代は黄金期と呼ばれる。ネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウスの5人の皇帝は、いずれも穏健で公正な統治を行ったとされる。
特に二代目の**トラヤヌス帝(在位98〜117年)**の時代、ローマ帝国の版図は史上最大に達した。北はブリタニア(現イギリス)から南はエジプト、西はイベリア半島から東はメソポタミアまで、3大陸にまたがる広大な領土を支配した。帝国総人口は5,000〜6,000万人に達したとされる。
注目すべきは、この時代の皇位継承が血縁ではなく養子縁組で行われた点だ。優れた人物を見定めて後継者に指名する仕組みが、長期安定の鍵となった。
平和を支えた3つのインフラ
これほどの広大な領域でなぜ秩序が保たれたのか。歴史家が指摘する要因は次の3点に集約される。
① 街道網(ローマ街道) 「すべての道はローマに通ず」と言われた高度な舗装道路網。軍団の迅速な展開を可能にすると同時に、商業流通の動脈となった。
② 共通通貨と度量衡 帝国全域でローマ通貨が流通し、属州間の交易を後押し。エジプトの穀物、ガリアの陶器、東方の香辛料が地中海を行き交った。
③ ラテン語とローマ法 西側ではラテン語が、東側ではギリシャ語が標準言語となり、属州出身者にもローマ市民権を与える柔軟な統治が行われた(212年のアントニヌス勅令で全自由民に市民権付与)。
平和の終わり、そして衰退へ
180年、マルクス・アウレリウス帝が没し、息子のコンモドゥスが帝位を継ぐと、五賢帝時代の不文律「養子による継承」が破れた。コンモドゥスの暴政、そして3世紀に入るとゲルマン諸民族の侵入、サーサーン朝ペルシアの台頭、軍人皇帝時代の混乱と、平和を支えた構造は次第に崩れていく。
しかし、約200年もの間、これだけの広大な領域に相対的な平和をもたらした事実は、世界史において稀有な「奇跡」と評されることもある。後世、パクス・ブリタニカ(19世紀の英国主導の平和)、**パクス・アメリカーナ(20世紀の米国主導の平和)**といった派生語が生まれたのも、パクス・ロマーナの記憶があってこそだ。